戦争映画の最高傑作!『スターリングラード(1993)』ネタバレあらすじと解説・感想

戦争

登場人物まとめ

ハンス・フォン・ウィッツランド少尉

本作の主人公。作中で中心となる小隊を率いる小隊長である。
演じるはお馴染み、ドイツ軍服が世界一似合う俳優トーマス・クレッチマン。決して仲間は見捨てない、敵の捕虜でも人道的に扱う等、騎士道精神の塊のような男。善人過ぎて現実的でない人物設定であろうと、トーマス・クレッチマンなら納得させられてしまう。
正しい軍人であるが故に、戦争の汚さに嫌気が差して脱走兵となってしまう展開が戦争というものの本質を突いている。

フリッツ・ライザー伍長

露出の多さと活躍ではウィッツランドを凌ぐ、言わば本作のMVP突撃工兵としてロロと共に北アフリカ戦線で手柄を立てており、戦闘力は高い。突撃工兵だからダイナマイトも扱えるし、火炎放射器の使用も許可されている。しかも女にはモテるし、陽気で誰よりも仲間思い、と非の打ち所がない。本作のもう一人の主人公と言える存在である。後半、防寒装備で誰が誰やら分からなくなっても、彼の人懐っこい顔は識別し易いであろう。ストーリー上でも一番最初に登場し、一番最後まで残っているメンバーである。

ロロ軍曹

ライザーと同じく突撃工兵で、その戦闘力は小隊内でも随一。ただし少々素行が悪く、乱れた服装で勲章の授与式に出席したため、叙勲を取り消されるという一幕もあった。良く言えば反骨精神が旺盛
ベテランである分、実戦経験の無いウィッツランドにも、最初は舐めた態度をとっていた。ミュラーのことは「息子に似ている」と言って常に気にかけている。妻には戦争捕虜のフランス人と浮気されてしまった。
主要メンバーで唯一、生死が不明である。

ジジ・ミュラー

新兵。最初の市街戦では仲間が次々と無残に死んでいく状況にショック状態となり、さらには誤って仲間を撃ってしまう等、頼りなさが目立ったが、段々と成長して後半まで生き残る主要メンバーとなった。
ライザーからはソ連軍から鹵獲したPPSh-41短機関銃をもらったり、何かにつけ慰めてもらったりし、ロロからも目をかけてもらっており、何だかんだで小隊内での愛されキャラである。

ハラー大尉

本作最大の悪役。野戦憲兵隊を指揮する大尉。
戦争の理不尽さを体現した存在なので、とにかく残忍・傲慢・卑怯な人物としか言いようがない。特に憲兵は最前線で戦うわけでなく、占領地の治安維持で弱い者いじめをする役割だから尚更である。せめて、もっと惨たらしい死に方をしてくれれば良かったのだが…。

ヘルマン・ムスク大尉

明確に中隊長として設定されてはいないが、ウィッツランドたちの小隊が属す中隊を指揮する。その指揮能力は非常に高いものの、犠牲を顧みない冷酷さもある。歴戦の猛者らしく、右手は義手。後に登場した時には騎士鉄十字章を授与されていた。
常に最前線に立って有能な手腕を発揮するので(マリノフカの戦いでも優秀だった)、同じ腐った将校でもまだハラー大尉よりはマシである。
捕虜についてはハラー大尉と同じ考えで、ウィッツランドのことを「ロシア人のシンパ」と罵倒した。

オットー

懲罰部隊でウィッツランドたちと出会い、後々まで行動を共にする。
彼がなぜ懲罰部隊送りにされたのかは不明だが、元は将校だったらしい。
そのためか、ムスク大尉にも物怖じせず「腐った将校」と批判していた。今やすっかり悲観的になってしまい、生きる気力も失ってしまった模様。

エミヒホルツ

通信兵。スターリングラード行きの列車の中でライザー、ロロとポーカーに興じていたので、彼らとの付き合いは長いと思われる。サイドを短く刈り上げた髪型が特徴。本人によるとサッカーチームのヴェルダー・ブレーメンの入団テストに合格しているらしく、復員したらプロサッカー選手になるという。
地下道で重傷を負った彼を助けようとしたために、ウィッツランドたちは懲罰部隊行きになってしまった。

ボルク

気のいいデブ。犠牲者多数の第2中隊の数少ない生き残りであり、ロシア語が話せる貴重な人材である。彼のおかげで負傷者救出のためのソ連軍との一時休戦に成功した。ストーリー序盤のムードメーカー的存在で、ウィッツランドに撃たれても死なないソ連兵をスコップで殴り倒し「漏らしちまったよ」と言う場面はどこかコミカルでもあった。ウィッツランド一行が地下道に行ってからは登場することはなかったが、ボルクたちは工場地帯の包囲網は突破できたのだろうか?

『スターリングラード』ネタバレあらすじ

東部戦線へ

1942年夏、ドイツ第三帝国下。
士官学校を出たばかりのフォン・ウィッツランド少尉は、新たに編成された第6軍第336大隊第2中隊第1小隊の小隊長に任命され、初の実戦となる東部戦線の激戦区スターリングラードへと向かっていました。
彼の率いる部下はフリッツ・ライザー伍長やベテランのロロ軍曹等、北アフリカ戦線で手柄を立てた突撃工兵の精鋭揃いです。
将校でありながら部下たちと同じ貨車に乗るウィッツランドですが、そのこと自体は評価されつつも、ベテランであるロロからは実戦経験が無いことを馬鹿にされてしまいます。

スターリングラード郊外に到着したウィッツランドは、野戦憲兵のロシア人捕虜に対する非人道的な扱いに抗議するものの逆に殴られてしまい、憲兵隊上官のハラー大尉に訴えてもまともに取り合ってもらえませんでした。
彼ら小隊が属する第2中隊を率いるムスク大尉にしても、捕虜については同様の考えでした。

工場地帯の激戦

いよいよ市街戦が始まりました。
中隊はムスク大尉の命令で工場を占拠しようとします。
ソ連軍の抵抗は激しく、中隊内にも死傷者が続出しました。
さらに戦闘の混乱の中、新兵のジジ・ミュラーは誤って味方を撃ってしまいます。
ショックでパニックに陥るミューラーをライザーは「オレも経験がある」と慰めました。
ムスク大尉の発案で燃料を積んだドラム缶をトロッコに載せ、それをソ連兵に撃たせることで爆発を起こし、中隊は見事に工場の奥へと進撃しました。
しかし、この時点で双方には多大な被害が出ており、工場の外には身動きできない負傷者が野ざらしにされています。
そこでウィッツランドはソ連兵に一時休戦を呼びかけ、お互いの負傷者を救出することにしました。
ほんの一時ながら両軍は戦いを止め救助に専念し、ライザーはソ連兵と食糧の交換までおこないました。
ところが、一人の好戦的なドイツ兵が裏切って無防備なソ連兵を撃ってしまいます。
両軍は再び銃撃戦を再開し、ウィッツランドは成り行きでロシア人の少年を連れ自陣へ戻りました。

戦況は膠着状態にあり、ウィッツランドたちも下手に動くことができません。
そうしているうちに自軍から食糧と故郷からの手紙が配達されてきました。
ただし、ロロにとっては妻の浮気という悪い知らせではありましたが。
ライザーらはロシア人の少年にも食糧を与えましたが、少年は決して受け取りませんでした。
やがて中隊はソ連軍に包囲され、敵の攻撃が激しくなりました。
そこでウィッツランドは下水道から突破する作戦を立てます。
ウィッツランド、ライザー、ロロ、ミュラー、エミヒホルツの5人が先陣を切って下水道へ突入しました。
道中、ウィッツランドは道に迷い、仲間とはぐれてしまったところでロシア人の女兵士イリーナを捕虜にします。
道案内をすれば逃がす、という条件でイリーナに先導させるウィッツランドでしたが、不意をつかれ下水の中へと突き落とされてしまいます。
そこを運良くライザーが発見し、ウィッツランドは救出されました。
しかし、会敵したエミヒホルツは片足を失う重症を負っていました。
一行は下水道を抜け、野戦病院へとエミヒホルツを運びます。
野戦病院は負傷者で埋め尽くされていました。
一刻を争う事態に仲間の身を案ずるあまり、ライザーは軍医に銃を突き付けてエミヒホルツの手当てを優先させてしまいます。
その現場をハラー大尉に見られてしまい、ウィッツランドたちは即刻逮捕され、懲罰部隊へ送り込まれました
さらに悪いことにドイツ第6軍はソ連軍に南北から挟撃され、孤軍重囲の状態になりつつありました。

懲罰部隊

少尉の階級をはく奪されたウィッツランドとライザー、ロロ、ミュラーは懲罰部隊で危険な地雷除去作業をさせられ、屈辱的な扱いをされていました。
そこへムスク大尉がやってきて、彼らにある提案をします。
ホト将軍の装甲部隊と合流できる最後のチャンスのために、マリノフカのソ連軍を撃滅せよというのです。
その戦いに生還できたら懲罰部隊から解放し、元の階級に戻れるのです。
かくしてウィッツランドたちは乾坤一擲の戦いに挑みました。

向かい来るソ連軍戦車部隊に対し、自軍はたったの対戦車砲一門。
残りは全員タコツボ壕に潜み、至近距離から吸着地雷や火炎瓶でもって戦車と戦うのです。
絶望的な戦闘の中で多数の死者を出しながら、それでも彼らは戦いました。
そして奇跡的な勝利を収めたのです。

マリノフカの戦いに勝利したウィッツランドたちは元の階級こそ戻ったものの、約束の特別休暇は反故にされ、挙句には野戦憲兵隊のハラー大尉に無実のロシア民間人たちの処刑を強要されました。
その中には工場で一時的に捕虜にした少年も含まれていました。
この件でドイツ軍そのものに愛想が尽きたライザーは戦地から脱走することを決意します。
上官であるウィッツランドも、もはや軍への忠誠心を失い、止めるどころか自分も一緒について行くことにしました。

脱走

駐屯地の外には行き場を失くした多数の民間人と死傷者、そして荒涼たる雪原が果てしなく広がるばかりでした。
ウィッツランドたちは何とかして輸送機に乗って脱出するため、ピトムニク飛行場を目指します。
道中には野ざらしのドイツ軍の死体の山もあり、なかには負傷兵の証明書を付けたままのものもいました。
一行は「この証明書があれば負傷兵として帰れる」と喜び、死体を漁って3人分の証明書を集めました。

ピトムニク飛行場もまたソ連軍の激しい砲撃にさらされていました。
証明書と迫真の演技のおかげで3人は無事に野戦憲兵の厳しいチェックを通過し、もう輸送機は手を伸ばせば届きそうな距離にあります。
ところが、大勢の負傷兵と将校を乗せた輸送機は無情にも彼らの目の前で定員を超え、この飛行場の最後の便は飛び立ってしまいました。

失意のうちにウィッツランドたちは駐屯地へと戻ります。
そこにはすでに弱り切った仲間たちがいました。
なかでもムスク大尉は、凍傷によって右足が壊死する重症を負っています。
虚しい再会を祝う彼らの頭上に、ドイツ軍が補給物資を落としていきました。
急いで物資を回収し、わずかばかりの食糧に喜ぶウィッツランドたち。
そこにあのハラー大尉がやって来て、一行に「略奪は銃殺刑だ」と言って銃を突きつけ、物資を独り占めしようとします。
戦況が悪化し、取り巻きもなく自分がどこにいるかも分からない状態で、なおハラー大尉は傲慢な態度でした。
もちろん彼らが素直に従うわけもなく、ロロはハラー大尉を撃ちますが、大尉の撃った弾はミュラーに当たってしまいました。
卑怯にも大尉は隠した食糧の場所を教えて命乞いします。
仲間の一人であるオットーは、ハラー大尉が殺した者たちの仇とばかりに止めを刺しました。

絶望の逃避行

半信半疑ながら、一行はハラー大尉の言っていた食料の隠し場所である家へと向かいます。
するとそこには、呆れたことに山ほど積まれた食糧があったばかりか、以前にウィッツランドを下水に落としたロシア人女性兵士イリーナが性奴隷として監禁されていました。
倫理観の崩壊した将校たちに激怒したウィッツランドはイリーナを解放し、部下たちにも彼女に指一本触れてはならぬと命じます。

死ぬのを待つばかりの状況でもムスク大尉は威張り散らし、空虚な軍人論を振りかざします。
自暴自棄となっていたオットーは、そんなムスク大尉を笑いとばしながら拳銃自殺しました。
ムスク大尉は「外の空気が吸いたい」と、ロロに外へと連れていってもらいます。
その時、高級将校を含め大勢のドイツ軍がやって来ましたが、彼らは皆、ソ連軍へと投降するところでした。
もう起き上がる気配さえないムスク大尉と一緒にロロはいつまでも彼らを見ていました…。

最後に残ったウィッツランドとライザーはそれでも生きる希望を失ってはいませんでした。
イリーナには何か当てがあるらしく、彼女の提案で3人はともに逃げることにします。
しかし、イリーナに案内され、目的地に着く直前、彼らはソ連軍の攻撃を受けてしまいます。
ソ連軍は味方であるイリーナを平気で撃ち殺しました。
遠距離からの攻撃だったためウィッツランドとライザーは逃げられたものの、雪に覆われた極寒の大地で彼らに残された道はもう何もありません。
先にウィッツランドが倒れました。
「寒さの一番の良さは何も感じずに済むことだ。何もかも凍らせてくれる。涙も凍って出ない。」そう言ってウィッツランドは動かなくなりました。
ウィッツランドを抱き寄せ、ライザーは語りかけます。
「砂漠を知ってるか?クソ暑くて全身から汗が出続ける。砂漠は最低だ。でも、星が美しい。星に…手が届きそうだ…。」
そしてライザーもそのまま動くことを止めました。
2人の体を吹雪が覆い隠していきます…。

『スターリングラード』感想 戦争映画、斯くあるべし!

世に数多ある戦争映画の中で、個人的には本作こそが最高傑作であると断じます!
なぜなら、本作には戦争映画に求められるもの全てが凝縮されているからです。
以下にこの「スターリングラード」がなぜ傑作なのか、理由を列挙したいと思います。

①戦闘のカタルシスがある
まずもって戦争映画には戦闘シーンの興奮があらねばなりません。
戦闘無しに戦時下のドラマを描いているのは別ジャンルです。
本作の戦闘シーンは主に2か所、序盤のスターリングラード工場地帯の市街戦と、中盤のマリノフカの雪原での対戦車戦です。
市街戦では中隊規模の歩兵の壮絶な消耗戦が臨場感をもって描かれています。
ここでは、激しい損害を出しながらの一進一退の攻防に手に汗握ることになります。
そして圧倒的に不利な状況下で挑むマリノフカの戦いが熱い!

←ソ連軍のT34戦車が画面上だけでも9両見える。この絶望感!どう考えても無謀である。


ソ連軍の戦車部隊に対して自軍は歩兵と対戦車砲(PaK38)一門のみ。
ひたすらタコツボ壕に潜み、戦車が通り過ぎたら火炎瓶(いわゆるモロトフ・カクテル)と吸着地雷で撃破するわけですが、ソ連軍にはタンクデサントという戦術によって戦車の上に歩兵が乗っかっており、隠れていてもこの歩兵によって見つけられてしまいます。

タンクデサント 歩兵にしてみれば恰好の標的にされるわ、移動時の負担は大きいわで堪ったものではない。歩兵の命など何とも思わないソ連軍らしい戦術である。

さらには戦車で塹壕ごと踏みつぶされたりもするのですが、それでも士気と練度の高さ、ムスク大尉の的確な指揮等によって戦力差をひっくり返しての逆転勝利に何とも言えないカタルシスを得られるのです。

②悲惨である
一番大事なことですが、私は戦争映画たるもの「悪い敵に勝ちました。万歳!」であってはならないと考えます。
確かに戦闘による娯楽性は必須であるし、戦闘シーンのみに特化した映画は私も嫌いじゃないのですが(特に『ブラックホーク・ダウン』は大好きです。ただ、これは戦争というよりアクション映画と言うべきか…)、やはり戦争は悲惨なものであるという本質は忘れてはいけないのです。
その点、本作の悲惨さは折り紙つきです。
何しろ史実において独ソ戦は人類史上最大の死者を出した最悪な戦争であり、なかでもスターリングラード攻防戦はとりわけ激戦だったのです。
さらにウィッツランドたちの属する第6軍は事実上全滅した最も悲惨な部隊で、ストーリー上でも主要登場人物は全て死亡しています。
この容赦の無さがたまりません。
これには製作国がドイツという点が大きく作用していると考えられ、やはり戦勝国ではこの滅びの美学すら感じさせる死にざまは作れなかったでしょう。
ウィッツランドとライザーの死に際のやりとりも忘れられない名セリフです。

③バイアスに囚われない視点
映画に限らず、戦争という題材を扱う場合、得てしてイデオロギーや政治的なバイアスがかかってしまいがちです。
例えば戦争映画であれば製作国側の正しさだけを強調し、敵国は悪と描くような偏りです。
そのような映画は珍しくもないですし、実際その方がウケが良いということもあるのでしょう。
しかし、それは映画として非常に浅く幼稚であり、場合によっては有害なプロパガンダと化す危険性さえあります。
翻って本作はどうでしょうか?
主人公の属すドイツは正義でソ連は悪として描いているでしょうか?
全くもってそんなことはありません。
それどころか、ソ連軍の兵士や人民とて同じ人間として描写され、ドイツ軍を死に追いやっているのは他ならぬドイツ軍上層部でありました。
また、本筋から外れてしまうので映画では扱われていませんが、同様にソ連の死傷者だって結局は大半がスターリンが殺したようなものです。
つまり、大半のソ連の人民もまた体制による被害者なのです(映画でもイリーナはソ連軍によって殺されている)
第二次世界大戦時から全く成長せずに当時と同じ思想で蛮行を繰り返す現在のロシアを見ても分かるように、戦争の本質はそこにあります。
本作はその不都合な真実に目を逸らさず、真正面から描いているのです。

また、ウィッツランドの正義感が強すぎて美化し過ぎているとか、脱走兵が主役の反戦映画だからけしからんとする批判が世間にはありますが、全く意味が分かりません。
それなら、敵国の人間であれば子供でも残忍に殺し、女と見れば強姦する鬼畜を主役にすれば納得するのでしょうか?
そんなものいったい誰が観たいと思うでしょうか?
フィクションである以上、主役補正がかかるのは当たり前だと思います。
それに、大義の無い戦争など逃げて当然です。
このような批判を向ける者はきっと独裁者に従って無実の民を殺し、自分は犬死にするのが正しいことだという価値観なのでしょうね。

というわけで、本作は安易な道に逃げず、戦争を真摯にとらえている映画であるのです。

④全体的に格調高い
これは数々の要素が組み合わさった結果なのですが、特に映画全体を覆うシリアスな空気が緊張を持続させ、ダレやムダ、間の抜けたシーンが見当たらないことが大きいです。(例えば逆の例が「地獄の黙示録」。これはこれで名作ですが)
また、場面ごとに適宜挿入され没入感を高めるBGM群。
表題曲である「スターリングラード」の美しいこと美しいこと。
勇壮さの中に悲壮さも感じさせる旋律が冒頭とエンディングを彩ります。
細かい点ですが、ドイツ製作ということで、ちゃんとドイツ軍はドイツ語を、ソ連軍はロシア語を話すのも好感が持てます。
私個人はどうせドイツ語もロシア語も英語も分かりゃしないんですが、やっぱり全員英語を喋られると興が醒めるものなのですよ…。
あとは、主役のトーマス・クレッチマン。
この人が出るだけで何故か映画の格が上がる気がいたします。
この人は「戦場のピアニスト」でユダヤ人シュピルマンを助けたドイツ軍将校ホーゼンフェルト役として有名ですが、「ヒトラー 最後の12日間」では武装親衛隊の将軍、「U-571」ではUボートの艦長等々、とにかくドイツ軍人役が最高に似合う俳優さんなのです。
何しろ「ワルキューレ」でトム・クルーズが演じた主役のシュタウフェンベルク大佐は、もともとはクレッチマンが内定していたのです。
クレッチマンを脇役に回さず主役に据えていれば、「ワルキューレ」ももっと映画としての深みが出たでしょうに…。

いずれにせよ、こんなに「良い映画を観た」という満足感を得られる作品はそうはありません。
2001年公開の同名映画「スターリングラード」と間違われやすいですが、ハッキリ言って作品の出来はあちらが哀れに思える程の雲泥の差。
何を差し置いても観ていただきたい戦争映画です。

映画『スターリングラード』の解説

野戦憲兵について

本作における最大の敵は、ソ連赤軍ではなく野戦憲兵隊の上官ハラー大尉でした。
この、強大過ぎない地位にあり、かつ微妙に近い距離にいる目の上のたんこぶ感が実にリアルです。
憲兵とは一言で言うと軍隊内の警察なわけで、ナチスドイツ軍での野戦憲兵隊もまたアドルフ・ヒトラーの政権掌握後、再編成され以前よりも警察活動の権限が拡大されました。

野戦憲兵の任務は前線占領地の治安維持がメインであり、これには敵地の敗残兵やレジスタンスの処刑、一般市民の統制も含まれていますから、彼らが無差別に敵国の人間を虐殺していたことは容易に想像がつきます。
むしろ現実の野戦憲兵たちの所業に比べれば映画内での虐待など生温いとすら言えるでしょう。
そして軍隊内部についても彼らは軍紀維持の職務を担っていました。
脱走兵や詐病者、わざと自傷行為をおこない前線を離脱しようとする者は即、射殺したのです。

←詐病(と判断された)兵士を射殺する憲兵。緑の腕章には「Feldgendarmerie(フェルトゲンダルメリー=野戦憲兵)」と書いてあります。

ピトムニク飛行場のシーンでも、腹の傷が自分で付けたものと判断された兵士が射殺されていましたね。
そういえば本作では野戦憲兵はちゃんとゴルゲット(金属のプレート)を着用しているため、判別が容易です。

←一番右が野戦憲兵。もう歩けない捕虜を蹴り殺す。おまけに抗議したウィッツランドも殴り倒す。

→ゴルゲットはこのようになっている。

前線で戦闘をおこなうわけでもなく、もはや戦意もない者や非戦闘員を虐殺し、おまけに紀律のためとはいえ同胞すら殺す野戦憲兵は当然のごとく軍隊内でも忌み嫌われました。
そのため彼らには「Heldenklauer(ヘルデンクラウアー=英雄を盗む者)」、「Kettenhunde(ケッテンフンデ=鎖付きの犬ども)」という蔑称があったのです。

また、野戦憲兵の任務には懲罰部隊の監督もありました。
だからハラー大尉は懲罰部隊所属のウィッツランドたちに色々理不尽な命令をしていたのです。

さて、このように野戦憲兵は騎士道精神とはほど遠い、まさに戦争の汚い部分を分かりやすく寄せ集めたような職種です。
それ故、主人公たちの敵、ひいては平和の敵として設定するにはうってつけの存在であったと思います。
本当の敵とは国や属性ではなく、ファシズムや権威主義、差別主義といった誤った価値観にこそ潜んでいるのです。

独ソ戦の史実から見る『スターリングラード』

1941年6月22日、ドイツ軍の東方植民地化計画「バルバロッサ作戦」は決行され、人類史に例を見ない悲惨な戦争「独ソ戦争」が開始されました。
ウィッツランドらの小隊がスターリングラード近郊に到着したのが1942年9月15日ですから、戦争はすでに2年目にを迎えています。
いかにムスク大尉率いる中隊が威勢のいい発言をしていようとドイツ軍の劣勢は明らかであり、すでに敗色が濃厚な時期にありました。


緒戦こそ圧倒的な勝利をものにしていたドイツ軍ですが、ダメージは蓄積され補給は届かず、あげく記録的な寒波という「冬将軍」の到来によって1941年12月、ついに首都モスクワを目前にして進撃は止まったのです。
その後はソ連軍の反転攻勢によって甚大な被害を出し、退却・敗走を余儀なくされました。
しかし、そこで調子に乗ったスターリンは疲弊しきったソ連軍に滅茶苦茶な作戦を強要し、ドイツ軍に次々に返り討ちにされたのです。
いわば、ドイツ軍はスターリンの無能さに救われた格好です。
そして1942年春、もはやソ連全土に攻勢をかけることなど不可能となったドイツ軍は、北方軍集団・中央軍集団・南方軍集団と大きく3つに分かれていた軍を南方軍集団一本に集約し、モスクワはあきらめ、南方コーカサス地方の油田地帯を占領することとしました。
それが「青号(ファル・ブラウ)作戦」です。
スターリンは頑なに「ドイツ軍は再度モスクワを狙ってくる」と思い込み、南方の守備を疎かにしていたため、これまたドイツ軍の奇襲は成功しました。
ただ、そこでヒトラーは勝利に慢心し、ソ連軍の余力がまだまだあるにも関わらず南方軍集団を2つに分け、A軍集団はそのまま南進してコーカサスの油田を、B軍集団は東進してスターリングラードをそれぞれ占領するよう変更してしまったのです。(「エーデルワイス作戦」と「フィッシュライアー(青サギ)作戦」)
ウィッツランドたちはこのB軍集団の第6軍に属しています。

本作の主題であるスターリングラード攻防戦こと「青サギ作戦」は8月23日に開始されました。
そして、その時にはもうソ連軍は守りを固め、スターリンは自身の名を冠した都市を断固死守(退却したら後方の督戦隊に射殺される)するよう命じていました。
スターリングラードはボルガ川に囲まれた地形にあり、ドイツ軍は真っ正面から攻める以外にルートがありません。
また、ドイツ軍の空爆で瓦礫となった建物は、ソ連軍にとっては隠れて迎え撃つのに最適な防御陣地となりました。
加えて、ソ連軍はドイツ軍が空爆できないように敢えて接近戦を仕掛けました。(映画でも自軍に被害が及ぶため爆撃を中止させるよう無線連絡しています)
こうしてスターリングラード攻防戦は「ラッテンクリーク(ネズミの戦争)」と呼ばれるように、地を這うような泥沼の戦いとなったのです。
史実でも、この膠着状態を打破するために、戦闘スキルの高い戦闘工兵をスターリングラードに投入しています。

映画ではウィッツランドたちの懲罰部隊行きが決定した頃、第6軍がソ連軍に包囲されました。
もはや余力のないドイツ軍はB軍集団の北と南の守りをイタリア・ルーマニア・ハンガリーの派遣軍に任せていたので、装備や練度に劣るそれらの部隊はソ連軍に簡単に突破されてしまったのです。
このソ連軍による第6軍の包囲作戦「天王星」作戦開始が11月19日でした。

孤立した第6軍にとってただ一つの希望は、第11軍司令官エーリッヒ・フォン・マンシュタイン元帥率いる装甲部隊による救出作戦(「冬の嵐作戦」)でした。
映画ではムスク大尉が「マリノフカを突破すればホト将軍の部隊と合流できる」と言っていましたが、このヘルマン・ホト将軍も作戦を指揮していた人物です。
だが、結局は救援部隊も第6軍まであと50kmのところまで接近したものの、ソ連軍の猛攻に阻まれ、作戦は失敗したのです。
せめてヒトラーが第6軍にスターリングラード死守を命じず、包囲の突破を許可していれば全滅は避けられたかもしれません。

1943年1月31日、ついに第6軍司令官パウルス元帥とスターリングラード南部のドイツ軍が降伏し、2月2日には残りの市北部のドイツ軍が降伏しました。
とうとうドイツ軍はスターリングラードを制圧することはできなかったのです。
包囲された第6軍は約26万人。
そのうち9万1千人が捕虜となりましたが、故国ドイツに生きて帰った者はたった6千人に過ぎませんでした…。


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA