映画『サウンド・オブ・フリーダム』感想
私はホラー映画とかオカルトとか、昔からロクでもないものが大好きな性分なので当然、表現・思想の自由は最大限守られなければならない、と考えており、表現規制推進派は反吐が出るほど嫌いです。(だからこそゾーニングには大賛成でもあるのですが)
どんなに非道徳的でも理解が及ばなくても、法に触れない限りはそれを禁止するのは許されざることだと思うのです。(言うまでもないが、誹謗中傷やデマは法に抵触するし表現の自由には含まれない)
それでは、映画にとっての禁忌とは何でしょうか?
そういったことを考えるきっかけとなったのが、この作品『サウンド・オブ・フリーダム』です。
そもそも本作は視聴する前に、余りにもネガティブな要素に溢れていました。
まず、製作総指揮にメル・ギブソン、主演はジム・カヴィーゼル。
そう、あのトンデモ映画『パッション』のコンビですね。
『パッション』は全然聖書に基づかない、アンナ・カタリナ・エンメリックという幻視者にして聖痕者、つまり思い切りオカルト的人物の著「The Dolorous Passion of Our Lord Jesus Christ 」(邦題「キリストのご受難を幻に見て」)」を下敷きにしたために、反ユダヤ的表現をした挙句、イエス・キリストへの拷問を見世物にするトーチャー・ポルノとなってしまったわけですが、まあ二人が敬虔なカトリックから遥か遠く、行きつくところまで行ってしまった宗教右派であるがために起きた悲劇と言えましょう。
そして、監督及び脚本はアレハンドロ・モンテヴェルデ。
彼の代表作『bella』は、ハートウォーミングなドラマを装いつつも、明確に中絶反対のメッセージを打ち出したものでした。
製作のエドゥアルド・ベラステーギは、メキシコでは社会ダーウィン主義者・極右として有名で、何を思い上がったか2024年のメキシコ大統領選挙に出馬しようとし、出馬に必要な署名が全く足りずに断念した人物です。
配給のエンジェルスタジオも分かりやすく、一般層ではなく完全にキリスト教徒向けの映画を配給している会社です。
ちなみにエンジェルスタジオはこの映画のチケットについて、ペイ・イット・フォワード方式をとっており(驚くことに日本公開においても)、これは寄付を募ることにより、その寄付で別の誰かが無料で観られるシステムなのですが、つまり本作の観客動員数がスゴイとか大ヒットとか言っても、結局タダだから観たんじゃないの?という疑念も生じます。
日本で例えるなら、信者がチケットをバラ撒く幸福の科学の映画ということですね。
あれが「ランキング1位だから素晴らしい映画に違いない」と思うかって話ですよ。
極めつけが本作のモチーフとなった実在の人物、ティム・バラード。
映画ではまるでランボーもかくや、という英雄として描かれていますが、彼は自らが設立した人身売買被害者救済組織オペレーション・アンダーグラウンド・レイルロード(OUR)において、複数の女性に性的行為を強要したかどでCEOを退任させられ、組織を去っています。
それもまさしく本作が公開された2023年に。
多くの子供を性加害から救ったと喧伝しておいて、その一方で成人女性を性加害してれば世話ないですわな。
さて、そんな面々は思想も一致しており、見事にコッテコテのトランプ信者でありQアノンなわけです。
どう考えても製作陣がまともじゃない。
じゃあ、この映画はやっぱりトンデモないのでしょうか?
ところがどっこい、結論から申し上げますと、映画はまともでした!(フィクションとして見るなら、ですが)
Qアノンは普段から民主党員やリベラル勢力が児童買春していると妄言を垂れるのですが、本作で児童を買っているのは純度100%の変態とか反政府ゲリラなので、まったく陰謀論の要素はありません!
世界で人身売買がおこなわれているのは厳然たる事実であり、そんな被害者を一人でも多く救いたい、加担している犯罪者はブッ殺したい、というのは思想の右・左関係なく全人類の願いであります。
その主張にはもちろん賛同しかないですよ。
ことの残酷さを伝えるためにあえて生々しい、痛ましい描き方であるのもテーマに真摯に取り組んでいるからこそだと思います。
意外とテンポも良く、ストーリーの構成もよく練られていました。
犯罪者の逮捕だけでは被害者を救えない虚しさ➡一転して犯罪者を一網打尽にする作戦へ➡作戦とん挫し絶望➡執念で作戦を成功へ導く➡もう一波乱あって絶望的な戦いへ、という流れは単純に面白かったです。
クリスチャン向け映画だから、とことん暴力シーンを排除しているのも、私にとっては新鮮でした。(てっきり犯罪者相手にジム・カヴィーゼルが無双するのかと思いきや、暴力は最後にちょっぴり格闘があるぐらい)
テーマがテーマだけに、娯楽要素の濃いアクション映画ではなく真面目な作りであることは、この人身売買の問題を人々に広く周知するうえでも必要だったと思います。
さて、ご承知のように本作は賛否が極端に分かれるわけですが、私の感想として結論を申し上げれば、映画そのものは普通に面白く、問題となる表現も無いし、罪は無い、というものになります。
例の映画の最後に寄付を募る行為も、一見アウトな気もしますが、ギリギリでセーフだとは思います。
飽くまで映画を他の人にも見せるためなので。(これがティム・バラード氏の組織やQアノンの団体への寄付なら完全にアウトでした)
しかし、問題は映画の外にあります。
まず、映画では完全なる英雄として描かれたティム・バラードですが、実際は複数の性犯罪で起訴され、いずれも現在係争中の限りなくクロに近い人物なわけです。
いくらフィクションとはいえ、そんな人物にこの映画がどれだけお墨付きを与えたか想像に余りあります。
世の中には「実話を基にした(based on a true story)」と謳いつつ、事実が1%で99%脚色の映画などいくらでもありますが、本作が問題のある人物の主張や活動を利することになってしまっているのはマズイのではないでしょうか?
実際、せっかく映画が政治色を完全に排除しているのに、やはりと言うか何と言うか、ティム・バラードにしてもジム・カヴィーゼルにしても、あるいはQアノン信者にしてもこの映画を引き合いに出して陰謀論を主張したり、自身と意見が異なる者を根拠なく小児性愛者だと非難しているわけです。
彼らは永久にピザゲート(民主党議員がワシントンDCのピザ屋で児童買春組織を運営しているとする陰謀論)を捏造し続けるのでしょう。
面白いことに日本でもトランプ信者が盲目的にこの映画を絶賛するのが見られます。
そして少しでも否定的な意見にはやっぱり児童買春の加担者だとか小児性愛者だと罵るわけですね。
そういう奴に限って普段は人権とか貧困の問題などクソくらえみたいな態度をとり、なんなら慈善団体すらバカにしておきながら、Qアノンの面々が児童買春は許せないと言い出すと、突然手のひら返して追従するのです。
断言しても言いですが、本作を絶賛している連中の半数以上は、人身売買・児童買春の問題を扱った名作『闇の子供たち』や『未来を写した子どもたち』、『ザ・ピンク・ルーム』等を観たことなどないし、今後もこの問題に対し寄付や何らかのアクションを起こすことはありません。
いささか脱線してしまいましたが、要するに問題は映画をプロパガンダの道具にすることです。
私は、仮に本作を上映中止にさせるような意見があるのなら、絶対に反対するし非難します。
表現の自由は守られるべきだからです。
ただし、本作を政治利用するような行為には吐き気を催します。
つまり、映画にとっての禁忌とはプロパガンダではないか、と私は考えるに至りました。